India  〜いんど〜
   ナマステー!(こんにちわ!)
もう何年前だろう。旅行馴れしていない時にアジアの大国インドへ行ってきた。
また行きたいねえ。

旅のmemo
1日目
インドのイメージってどっちかって言うと汚いイメージがあるんじゃないだろうか。
実際俺も行く前は不安タラタラだった。
連れは初めての海外旅行がインドなのでさらに不安一杯だったそーだ。
と言うことで、コレラの予防注射までしてインドに乗り込む事にした。
当時、旅の知識に乏しく、
インドへ旅立つのにわざわざ名古屋から大阪まで新幹線で行って飛行機に乗り込んだ。
考えてみたら、名古屋からバンコクやクアラルプールやシンガポールへ飛び
トランジットした方が往復の新幹線代分を充分吸収出来たと思う。
東京の人は安い航空券が手に入り羨ましい限りだ。
今回使用したキャリアはインド航空。
搭乗した瞬間から独特の臭いが鼻をついてきやがった。
お香の一種か知らねえがインド人にとっていい香りも、俺には.......。
スチュワーデスはサリーを着ていて色黒で彫りが深い顔立ちのインド人。
大阪にて既にインド気分を少し感じることが出来た。
ただこの臭いでの長時間フライトが思いやられるよ。
まさかインド国内もこの臭いが充満してるって事はないよなあ。
香港を経由してインドはデリー国際空港に到着。
米ドルをインドルピー(当時1ルピー=約5円)に両替するが、
戻ってきたルピーはホッチキスにてとめてあった。
お金をホッチキスでとめるなんて、普通輪ゴムじゃないの。
デリーには夜遅くの到着だったので
インフォメーションセンターにて宿を探してもらう事にする。
手付金50ルピーを支払い、バスにてホテルへ。
このバス滅茶苦茶ボロボロでガラスはほぼ全壊。
テロにでも襲われたのか?
フロントガラスまで破壊されている。
雨降ったらどないすんねん。
途中ボロボロの道路を走行し、
とあるホテルの前でバスは止まった。
おっ、ここか?
バス運転手いわく、空港予約したホテル付近は危険だから、
ここのホテルへ泊まれみたいな事を言ってる。
ちょっと待て!俺達は既に手付金払ってんだぞ!
ガンガン言ってやったがバスは動く気配がない。
早速インドの洗礼を受けてここのホテルにて手を打つことに。

2日目
翌朝ニューデリー駅の側にて飯を食って行動開始。
まずは旧市街に、どかんと建つモスク ジャマーマスジットへ。
リクシャー(自転車で引く人力車みたいなもの)が
俺達を旅行者と見るやいなや、早速ぼったくりプライスを提示。
半額以下まで落とすがこれでも妥当な料金か分かったもんじゃない。
ジャマーマスジットの巨大さには、ただただ圧倒されてポカンと口があんぐり。
ここはデリーでの有名な観光スポット。
もちろん観光客目当て(客引き、物売り)の様々な人達が集まっている。
中には”お恵み”目当ての人達も。
バクシーシー、バクシーシー(お恵みを!)
おおっ、これが世に聞くバクシーシーかあ。
それにしても群がりやがるなあ。
ちょっとでも恵むとさらに群がりが出来ることは必至。
彼らを上手にさばくのがインドを旅するコツの一つだろう。
帰りに明日ジャイプールへ行くための切符をオールドデリー駅へ買いに行く。
リクシャーに乗って移動している時だった。
連れが叫び声をあげた。
ガキが連れのカバンを引っ張ってるやん。
走ってる最中のほんの隙をねらう奴ら。
う〜ん インドの乞食恐るべし。

3日目
翌朝6時ジャイプールへ向けての列車に乗り込む。
列車のドアには席番号と予約した俺達の名前が張り出されていた。
おおっ、さすが1等車。
座席はそれ程でもないけどね。 昨日切符を連れと連番で買おうとしたのに
何故だか買えずに席は離れ離れに。
昼には到着する予定だったのに、2時頃に到着。
途中車内で昼ご飯なんか持ち込んでない俺に
周りの客からカレー&チャパティーを貰う。
ダンニャワード!(ありがとう!)
駅近くにてホテル2泊150ルピー
なんと1泊当たり約300円!)を決める。
ちゃんとトイレ、シャワー、エアコン付だ。
おまけに安宿によくある不潔感が全然無い。
街をぶらついているとコブラ使いを初めて見た。
インドって蛇使いのイメージあったけど、
結局ここでしか見ることは無かった。
パパイアが街中の露店で安くて1個10ルピー。
ホテルに持って帰って冷蔵庫にて冷やしてもらうことに。

4日目
ホテルにて朝飯食べてたら、
昨日買ったパパイアがちゃんと切って出されてきた。
安ホテルながらの心温まるサービスだ。
オートリクシャーにて郊外のアンベール城へ。
象に揺られて観光をしてきた帰り道
オートリクシャーが絨毯屋に無理矢理連れて行く。
ここで絨毯買って、これからどうやって旅行するんだ?!
適当にあしらって、ようやく開放されての帰り道
オートリクシャーが絵画屋に無理矢理連れて行く。
日本人はそんなに買い物すると思われているのか?!
チャイ(インドの紅茶)がこれらのお店で出されるが、口にはしなかった。
よく睡眠薬が入っていて飲んで眠ってる間に
身ぐるみ剥がされてドロンって話を本で読んだことがあったからだ。
勿論、親切心で出してくれてるのかもしれないけど...。
今日 次の目的地アグラからヴァーラーナスィーへと
ヴァーラーナスィーからデリーまでのエアーチケットを買う(99米ドル)


5日目
早朝6時の列車にてアグラへ出発。
昼にはアグラへ到着した。
ホテルはリクシャーまかせで決定
いよいよタージマハルだ。
ほぼこれを見る為にインドへ来たと言ってもいい。
入場料2ルピー(当時)。
こんな素晴らしい建造物を拝観するのに、なんとたったの10円!
さらにヤムナー河沿いのタージマハルを見ることができるアグラ城へ。
ここも入場料2ルピー。ここやたら緑のインコが飛び回ってた。
帰りのリクシャーがファクトリー(工場)へ寄ってけと言う。
何の工場だ?!そこへ行ってどうする?!
ジャイプールで散々だったので、断固拒否。
屋台ってインドによくあるのだが、
ここで遠目に屋台に黒い塊の売り物があるのが見えた。
あの黒い塊、何売ってんだろうねえ?って
連れと話ながら近づいて行ったら、
ハエがただ単にお菓子に群がってただけ。
あんなハエの群れ初めて見た。
食欲無くすよ。
話変わって、今日突然お腹の調子が狂い始める。
連れも体調が悪くなるが俺の状態はその比ではない。
ホテルに戻って腹痛はピークに。
上からはオエッ〜、下からはブリブリ、シャー。
とても飯なんて食える状態では無い。
異常に汗が出て、夜中はトイレと、ほぼお友達状態。
こんなの人生初で
一体どうなってしまのかと思った。


6日目
翌朝になっても治る気配が無い。
あれだけ夜中中苦しんだのに...。
同じくグロッキーの連れはホテルにて待機。
俺はホテルの人に紹介してもらって
思い切って病院へ行くことにする。
街の小さな病院で単に下痢で処理されてしまった。
そんなはずは無い!尋常じゃない痛さだ!
診察代50ルピー。外の薬局で24ルピー。
ホテルに戻ってきて、ひたすら寝ることに。
あまりに苦しむ俺に
夜にホテルの人が当地の薬を作ってくれることに。
少しは治まる。


7日目
翌朝飛行機にてヒンズー教の聖地
ヴァーラーナスィーへ向かった。
空港到着後バスとリクシャーを乗り継いで
ガンガー(ガンジス河)のほとりの
ガイドブックに載ってるホテルへたどり着いたら既に満員。
どうせこの辺には安宿が沢山ある。

ここへ来る時に利用したリクシャーだけど、
最初に値交渉してO.Kして乗車したのに、
途中で止まって、これより先は追加料金が必要だとか言いやがる。
後ろから運転手の頭を蹴飛ばして、
連れと2人でボコボコにしてやろうと思ったが、
ここで傷害事件おこして犯罪者になっても面白くない。
お金を座席にたたきつけて降りてきてやった。

すぐにホテルはみつかった。
ここに泊まってる人から
昨日この辺りで外国人が殺されたって聞かされた。怖ぇ〜。
さて インドでは牛は神聖なる生き物。
ここインドでは野良猫のごとき野良牛が闊歩している。
首都デリー他にもいるが、ここヴァーラーナスィーは多く感じた。
で、当然お牛様の落し物、ずばり”牛糞”が道端のあちらこちらに。
気を付けていたが、
とうとうここヴァーラーナスィーで踏んでしまった。


8日目
翌日ゴールデンテンプルと呼ばれるお寺へいってみた。
ガイドブックに載ってるわりには...。
やはりここヴァーラーナスィーでは、
聖なる河ガンガーにて沐浴(水浴び)だ。
...なんて事はとても無理。
このホームページのバックの写真はガンガーの風景だ。
この茶色のガンガーに入ったら、小康状態のお腹がまた爆発するだろう。
と言うことで、地元のプロ インド人達の沐浴風景を
観光客は見てることにしよう。
小舟をチャーターしてガンガーを堪能。 街には出店も一杯あり活気を感じて、まるでお祭りが開かれてる様な雰囲気だった。


9日目
今朝もガンガー沿いを探索。
デリーへ向かう為にバスに乗って空港へ。
15時発の飛行機なのに全然こない。
腹減って空港のレストランにて飯食ったら、
食事券を配りはじめやがった。一体どうしたんだ?
訳がわからぬまま結局 離陸は夜の7時に。
日本へ帰ってきて分かったことだが、
この日インドで、死者1万5千人以上でる大地震があったそうで。
この飛行機デリーへの直行便ではなく
カジュラーホー、アグラ経由。
結局デリーには深夜に到着。
空港内のロビーにて一晩過ごすことにした。
途中のアグラでは滑走路がライトではなく、
たいまつにて照らしてあったのが幻想的だった。あ〜インド。

10日目
空港のロビーで寝た為か、 翌朝身体中が蚊に刺されて痒かった。
バスにて空港から街へ。
結局2日目と同じホテルへ向かった。
世界遺産のレッドフォートへ行く。
写真はレッドフォートにてインドの俺の奥さんと子供...。
んな訳はなく、見ず知らずの他人。
これがインド。
アジアでよくあるが、あって間もないのに「My Friend マイ、フレンド」って呼ばれる。
はあ?いつお前と友達になった?
と言いながら写真には一緒に収まる。
10日間経ったのに国内線のエアーチケットを除くと
1万円近くしか使ってない。
両替したインドルピーが大量に余っている。
今まで散々飲みまくったチャーイ(紅茶)を大量にお土産として購入。
他にインドの弦楽器 シタール まで購入してしまった。
コンノートプレイス(ニューデリーの中心地)にて、
とても美味しいシェーク屋さん発見。
飲みまくることに。
これがいけなかったのか、
ホテルへ帰る途中、急激な腹痛が俺を襲う!
とてもホテルまで我慢できない!
かと言って、お店もない。
人間切羽詰まると何でもできる。
一般民家に頼み込んでトイレを借りることに。
よっぽど必死の形相をしていたと思う。
インドで民家のトイレを使用するなんて貴重な経験だった。

11日目
またまた腹痛が続いている。
今回は連れの状態の方がひどい。
とても出歩ける状態じゃないので、
タクシーにて病院へ直行!
連れが診察受けてる間の病院臭さが耐えられず、
玄関近くで待つことに。
しかし1時間待っても連れは出てこない。
一体どうしたんだ?
心配になって先生の所に戻ると、
「友達は病室にいるよ」だって。
まじっすか?
病室に行くと連れはベッドに横たわり点滴を打っていた。
インドへ来てここまでなってしまうとは...。
少しはまともな状態になってホテルへ退散。
昨日のシェークがあまりにも美味しかったので、
あの腹痛はシェークとは関係ないと自分に言い聞かせ
再びコンノートプレイスへ向かうのだった。
後はゆっくり休んで今晩のフライトに備えるのみ。

12日目
夜行便にて香港を経由して無事?大阪到着。
早速入国時に健康状態を報告すると別室へ。
検便をして岐路へついた。
明らかにゲッソリ痩せて帰ってきた俺に皆ビックリ。
1週間後に国からかかってきた電話により診断結果は食中毒。
人に移るような病気じゃなかったのでよかった。
ダイエットしたかったら迷わずインドへ行け!